2022年参議院選挙の取組と分析
参議院選挙の結果について
2022年7月22日 @愛知7区世話人会
市民と野党の共闘が分断され混迷した結果、参議院選挙において、主に「1人区」での不振により、リベラル勢力は後退してしまった。しかし、長期的に見て自公政権側が得票を増やしているわけではない。政権批判票や若者票の一部が、「改革」をうそぶく小党に流れ、「野党の多党化」という現象が起きた。「ネット野党」の戦術は軽視できない。
一方、愛知では現職4名を維持して維新・減税勢力を阻止し、維新の全国展開を結果的に阻むことになった。ここには一定の世論の反映がある。
今後は立憲野党の共闘の「大きな旗」を、市民と共に立て直し、ひきつづく地方選を含めて、平和憲法を守る運動などを続けていく。
全国市民連合から、参議院選挙の結果をふまえての声明 7月11日
第26回参議院選挙に関する声明
7月10日に行われた参議院選挙は、大方の予想通り、自由民主党や日本維新の会が議席を大幅に増やし、衆議院に続いて参議院でも改憲勢力が議席の3分の2を超える結果となった。かたや立憲野党は、社会民主党が1議席を死守する一方で、立憲民主党も日本共産党も選挙前に比べて議席減となってしまった。
より詳細に見ると、自由民主党が議席を増やしたのは1人区を含む選挙区に限られており、比例区ではむしろ1議席減らしている。逆に立憲民主党は、比例区では改選議席数を維持、議席減となったのは1人区を含む選挙区でのことであった。2016年、2019年と立憲野党が積み重ねてきた32の1人区すべてでの候補者の一本化が今回わずか11にとどまり、また、その11の選挙区でも選挙共闘体制の構築が不十分に終わった結果、勝利できたのは青森、長野、沖縄の3県だけに終わった。
2016年に11議席、2019年に10議席を1人区で勝ち取ったことと比較して、野党共闘の不発が今回の選挙結果に結びついたことは明らかである。各地の選挙区で厳しいたたかいを最後まで懸命にたたかい抜いた全国の市民連合の皆さんに深い敬意を表するとともに、立憲野党各党には本格的な共闘への取り組みをまずは国会で一刻も早く再開することを呼びかけたい。
むろん1人区だけでなく、複数区や比例区のたたかい方でも課題は見られた。複数区で日本維新の会の全国政党化を阻止したのは極めて重要な成果であったが、特に比例区において立憲野党各党は伸び悩み、日本維新の会や右派小政党に隙を突かれた。これらの課題は立憲野党だけでなく、私たち市民連合も今一度大きな広がりを作り直していくことが不可欠であることを示している。
結果としては改憲勢力に3分の2を許してしまったが、安倍元首相の殺害という重大事件によって選挙戦が最終盤で大きく歪められてしまったことに加えて、もともと岸田自民党がいかなる政策も明確に訴えなかったこともあり、9条改憲や歯止めなき軍事力強化路線が信任されたとは到底言えない状況である。市民連合としては、自己目的化した改憲の企てを阻止し、いのちと暮らしを守る政治の実現を求める広範な取り組みを建て直していきたい。
2022年7月11日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
2022年6月18日
第26回参議院選挙で改憲勢力の2/3を阻止し、
「平和憲法」を選択する選挙に
~愛知7区の有権者の皆さんによびかけます
市民と野党をつなぐ会@愛知7区
2022年6月22日公示、7月10日投票の第26回参議院選挙が実施されます。この選挙では、憲法についての大きな方向が争われます。憲法は、国のあり方の基本を定めていますが、現憲法の平和主義が貫かれるかどうか、今選択を迫られています。
ウクライナ危機に便乗して、「敵基地攻撃能力」(反撃力)の保有、防衛費2倍化、「核共有」、そして9条と平和憲法の変質へと、日本の安全保障の政策を大きく転換させようとする動きが強まっています。国民のなかにも、ロシアの侵略を目の前に見て、不安感が高まっていることも事実です。
けれども武力に対して武力で対抗するのではなく、平和外交の努力を尽くすことが、日本を守る保障につながります。軍拡競争しないことが、私たちの暮らし、経済、環境などを守る大前提になります。
参議院選挙では、政府与党など改憲勢力に2/3以上の議席をとらせないことを、私たちの大きな目標にしなければなりません。仮に2/3を越えると、改憲勢力は、選挙後に動きを一挙に進めてくるでしょう。
市民と野党をつなぐ会@愛知7区(以下、つなぐ会@愛知7区)では、「憲法が危ない!」と題して、立憲野党との懇談会(6月7日)を、緊急に開催しました。立憲野党からは、社会民主党、新社会党、日本共産党、みどりの党・東海、立憲民主党、れいわ新選組(50音順)に出席していただきました。各党からは、平和憲法と暮らし、環境が危ないという考えを、それぞれの主張・政策を込めて説明していただきました。
懇談会では、参加していただいた立憲野党の政策は、大きな目標では共通していること、そして つなぐ会@愛知7区の「政策目標」とも一致していることが確認されました。参議院選前の現時点で、共通の目標が確認されたことには、大きな意義があります。
つなぐ会@愛知7区は、参議院選後も各立憲野党との共闘を追求していきます。平和憲法と国民の暮らしを守る運動を、市民と立憲野党が共闘し共に発展させるよう要請していきます。
あらためて皆さんの一票を、平和憲法を重視する候補者・政党に投票することを呼びかけます。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/5231.html
注-この資料の以下のコメントは野党共闘の影響ついてあまり考慮されていない・島田
〇2022年参議院選挙
参議院議員選挙は7月10日に投開票され、憲法改正に前向きな自民・公明・維新・国民の4政党の議席が全体の3分の2を超える177議席に到達。与党勝利が大々的に伝えられる結果となった。
一方で、2021年10月31日に実施された衆議院議員選挙と、今回の参院選で、政党や政治団体などに票を投じる比例代表の得票を見ていくと、違った傾向も見えてくる(以下、11日配信のハフポスト日本版を参考にした)。
強固な支持基盤を固め選挙運動を展開する自民党と公明党は、全体の得票率では微減だった。自民党の得票数も減っており、奈良県での応援演説中に凶弾に倒れた安倍元総理の弔い合戦的な色彩は余り感じられない。
減少ぶりが目立つのは立憲民主党。野党共闘を旗印に掲げて臨んだ衆院選と違い、今回は与野党一騎討ちの構図を十分に作りきれなかった。
選挙前勢力から議席を積み増した日本維新の会は、全体の得票率も微増だった(得票数は微減)。
国民民主党は改選7議席から、選挙後は5議席と減らした。しかし全体の投票数が衆院選と比べて減ったのにも関わらず、比例票は増加。割合も4.5%から6%へ増やすなど明るい兆しを残した。
社民党は、比例代表の得票率が2%を上回らないと公職選挙法上の政党要件を維持できない選挙だった。党首の福島みずほ氏も当選となり、支持層の危機感が反映された可能性がある。
参政党は170万を超える比例票を獲得。YouTubeやTiktokなど、SNSを通じた選挙戦略が奏功したとみられる。
○2021年衆議院選挙
図に見られるように旧民主党の立憲民主党と国民民主党は合計しても前回衆院選の民進党の比例獲得票を大きく下回った。自民党の比例獲得票はむしろ上回っており、自民党が単独で絶対安定多数を獲得する勝利につながった(小選挙区情勢は図録5235参照)。
こうした比例票の動きの大きな要因として指摘されるのはやや無理があった野党共闘である。岸田首相による短期決戦の仕掛けに対して急遽具体化が進んだ野党共闘は、213選挙区(無所属候補者等も含めると217選挙区)で候補者一本化を果たす「形」を整えた。しかし問題はそこから先で、共産党による「限定的な閣外協力」という政策合意の将来像を共有できないまま、一部には共産アレルギーを抱える立民コア支持層の躊躇と混乱を抱えた状態で野党共闘は選挙戦に突入することになったのである。
躍進した日本維新の会は、近畿圏以外でも比例票を積み上げ、30議席増の41議席を獲得した。吉村洋文大阪府知事のコロナ対策などが改革イメージとして評価されたことに加えて、「自民党にも野党共闘にも投票したくない層」の受け皿となることに成功したことも勝因だろう。この選挙からグラフに日本維新の会の比例票の動向を加えた。
○2019年参議院選挙
関心がもたれていた自民、公明、日本維新の会などの改憲勢力の3分の2越えは実現しなかったが、与党は改選過半数を確保し、参院での過半数を維持した。
図に見られるように旧民主党の立憲民主党と国民民主党は合計しても前回民進党の比例獲得票を下回った。自民党の比例獲得票も前回をかなり下回っており、合わせて主要与野党の退潮が印象的である。
国民民主党の比例獲得票(348万票)は日本維新の会の490万票、日本共産党の448万票を下回った。
その一方で、比例代表で消費税の廃止を訴えた「れいわ新選組」が比例獲得票228万票で2議席、NHK受信料を支払った人だけが視聴できるよう「スクランブル放送」の実現を公約として掲げた「NHKから国民を守る党」が98万票で1議席を獲得した。政党要件を持たない諸派が比例議席を得たのは現行制度の下で初めてだという。
都道府県知事経験者の参議院議員が、非改選を合わせて6名という記録的な数となったのも今回参院選の結果の特徴である。
元知事である当選者は、北海道選挙区選出の高橋はるみ(自民党)、神奈川県選挙区選出の松沢成文(日本維新の会)、滋賀県選挙区選出の嘉田由紀子(無所属・野党統一候補)、大阪府選挙区選出の太田房江(自民党)、岡山県選挙区選出の石井正弘(自民党)の5人である。
このうち、参議院選挙で当選経験がない新人は、高橋氏と嘉田氏の2人で、この2人が加わって、公示前の4人から6人に増えて、(公選の)都道府県知事経験者の参議院議員が過去最高となった。ちなみに、太田氏は、初当選した時は比例代表区だったから、大阪府選挙区での当選は初めてとなる。
そして、非改選の参議院議員には、長崎県選挙区選出で元知事である金子原二郎(自民党)がいる(土居丈朗「今回の参議院選挙で起きた珍事!?」ヤフーニュース2019年7月22日)。
○2017年衆議院選挙
国難突破を訴える与党に対して、野党は民進党が希望の党に合流する判断を示し、希望の党からの「排除」を嫌って一部が立憲民主党を立ち上げるに至ったため、保守対中道対リベラルといった3極構造の選挙戦となった。
安倍政権の内閣支持率が低下していたので自民党への比例票は昨年の参院選時よりむしろ減少した。また、一方で、民進党が2派に分かれた受け皿となった希望の党と立憲民主党の比例票獲得数は、合わせると2000万票を越える大幅増となり、自民党を上回るに至った。にもかかわらず、小選挙区制度の下で野党が分裂したため、獲得議席では、自民党が前回並みの議席を確保することとなった(図録5235参照)。
○2016年参議院選挙
与党はアベノミクスへの信任を争点として選挙戦に入り、野党は共産党を含む統一候補を立てて戦ったが、与党が改選過半数を大きく上回り大勝した。自民党の比例獲得票は郵政選挙以来最多の2000万票超となった。はじめて18~19歳が選挙権を有する選挙となった点、また一票の格差是正のためはじめて鳥取・島根、徳島・高知で選挙区の2県合区が実現した点が新しい。与党は敢えて改憲を争点とせず、むしろ野党が今回の選挙を改憲危機ととらえる論戦を行ったが、結果として、与党など改憲勢力が衆議院とともに3分の2を超えた点も注目される。なお、女性候補は96人中28人が当選し、戦後最多を記録した(毎日新聞2016年7月11日夕刊などによる)。
○2014年衆議院選挙
2014年12月14日投票の衆議院選挙は、アベノミクスなどこれまでの政権運営の信を問うとして安倍首相によって行われた衆議院の解散を受けて実施された。念のため解散などとも呼ばれ、総選挙実施の理由については政権の自己都合と批判され、また、選挙の争点がはっきりせず、野党が四分五裂で求心力をもたなかったため、、投票率も52.66%(小選挙区、確定)と過去最低となった。2012年の衆議院選挙と比較すると、投票率の低下にもかかわらず、比例票は自民党の場合6.2%増、民主党も1.5%増と得票を伸ばしている。民主党は比例票で維新に次ぐ3位から2位へと地位をアップしている。
○2013年参議院選挙
ネット選挙が解禁となり、アベノミクスという用語が氾濫する7月21日投票の参議院選挙は、改選議席の与党自民党・公明党の圧勝により、衆議院と参議院の与野党が逆転している「ねじれ状態」が解消した選挙ともなった。比例代表選挙における民主党の得票数は、713万票と過去最少となった。
○2012年衆議院選挙
2012年12月16日投票の衆議院選挙は「民主党ダメだし」が基調の結果となり、民主党は公示前230議席から57議席への惨敗、一方、自民党は118議席から294議席への圧勝となった。第3極への結集はならず多党乱立のなか、小選挙区制のロジックに従って自民党が圧勝という結果となったのである。圧勝した自民党の複数の幹部は自分たちに風が吹いたからというわけではないと正直にコメントしている。識者の見方としては以下が妥当なところであろう。
「自民党の圧勝というより、民主党への国民の判断が非常に厳しかったという結果だ。マニフェストが実行できず、やろうとすること自体も変わってしまった。民主党がどうにもならないと思った時に、代わる政党が一つしかなかった。ただ、3年半前に政権交代せず、自民党政権のままだったら良かったかというとそうではない。民主党には、政権運営に携わった常識的で若い人材が残った。自民党に代わる選択肢になれるよう努力すれば、民主党も再生できるし、政権交代の意義も大きくなる。(中略)自民党が300議席に迫り、日本維新の会も第3党となったことで、諸外国からは日本が右傾化しているとの懸念が出るだろう。しかし、私はそう見ていない。民主党が敗北した、という結果だ。」(政権交代・私はこう見る:米コロンビア大(政治学)、ジェラルド・カーティス教授、毎日新聞2012年12月18日)
○2010年参議院選挙
2010年7月11日投票日の参議院議員選挙で与党民主党は10議席減の44議席と敗北、野党自民党が13議席増の51議席となり改選第1党となった(非改選を加えると民主党が106、自民84となお民主第1党)。
こうした自民党の勝利は選挙区、特に1人区の勝利によるものであり、比例獲得票数では、民主党の減少ほどではないが、自民党も減少しており、また民主党を上回った訳でもない。民主党の比例獲得票は2000万票を下回り自由党との合併以降最少となった。自民党の比例獲得票も1500万票を下回り2000年以降最少となった。みんなの党はじめ批判的な新規小党の躍進によるものであり、2大政党へ向かう動きには待ったがかかった状況である。
なおこの参議院選挙の結果については都道府県別の政党別得票率をあらわした時事トピックス(図録j002)参照。
○2009年衆議院選挙
2009年8月30日投票日の衆議院議員総選挙で与党自民党は181議席減の119議席と大敗、民主党が193議席増の308議席と大勝、単独過半数(241議席)を大幅に上回る第1党に躍進した。
比例獲得票数では、民主党が2,984万票と、はじめて、ほぼ3千万票に達した。自民党は1,881万票と2005年郵政選挙と比べて大きく票数を減少させた。
今回衆議院選挙では、投票率が69.8%と1996年以降の小選挙区比例代表並立制発足以降最も高かったため、自民党と民主党の得票数合計は4,865万票と2007年の参議院選挙ばかりでなく2005年の郵政選挙を173万票上回った。
民主党は2007年参議院選挙でも大勝したが、民主党の比例代表の得票は2003年の衆議院選挙以降、2000万票台前半で高位安定的に推移していた。郵政選挙で惨敗した2005年衆議院選でも比例代表では2100万票とそれほど大きく落ち込んではいなかった。
逆に自民党は増減幅が大きく、「風頼み」の傾向が強くなっていたが、今回選挙では、政権交代の風が強く吹いて大敗につながった。
小選挙区制度の下で、こうした比例票の推移以上に、議席数の大変化、大逆転が生じているのが印象的である。
*20220721 NHK政治マガジンより
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/86287.html
森ゆうこはなぜ負けた 野党の急先鋒 国会を去る
7月10日の参議院選挙。勝敗のカギを握る全国に32ある定員1の「1人区」で、自民党が28の議席を獲得し大勝を収めた。
前回、前々回と2回続けて野党側が、自民党を抑えてきた新潟選挙区でも、立憲民主党の森ゆうこ(66)が自民党の新人に6万8000票余りの差をつけられ、敗れ去った。
党の参議院幹事長も務め、抜群の知名度を誇った森はなぜ負けたのか?
(山田剛史、野口恭平)
大差での敗北
7月10日午後9時29分。
NHKが新潟選挙区で自民党の新人、小林一大(49)の当選確実を伝えると、森の支持者が集まったホテルの一室は静まり返った。
定数削減で「1人区」となった6年前、森は事実上の野党統一候補として自民党の現職に挑み、わずか2279票差で勝利を収めた。
ところが今回は一転、自民党の新人に6万8930票の差をつけられ、一敗地に塗れた。
森は悲痛な表情で集まった支持者に謝罪した。
「残念ながら、この壮絶な権力との戦いということで守り切ることができませんでした。
これはすべて私の責任であり、力不足であります。非常に重い責任を果たせなかったこと、みなさま本当に申し訳ありませんでした」
前触れは知事選に
前触れは参議院選挙の直前、5月に行われた新潟県知事選挙にあった。
知事選では自民党と国民民主党、連合が現職の花角英世を支援する一方、共産党と社民党は対立候補の新人を支援。立憲民主党は特定の候補を支援せず「自主投票」とし、野党内で対応が分かれた。
共産党との連携に否定的な連合に配慮しつつ、共産党と社民党の顔も立てる。立憲民主党が置かれた微妙な立場がそこに映し出されていた。
森は対立候補の支援を選んだ。
「この動きが自分にとってプラスになるかマイナスになるか分からない」
そんな複雑な思いも抱いていたが、自身が改選を迎える参院選を目前に控え、共産党との連携を深めたいという思惑があったのは明らかだった。
しかし、結果は森からすれば目を覆わんばかりのものだった。森が支えた候補は現職の花角にトリプルスコアの差をつけられる大敗を喫した。
対する自民党。参院選を見据え、知事選で「野党分断」を狙い、その効果に強い手応えを感じていた。
「新潟モデル」の成功体験
新潟県では、野党各党の間で「新潟モデル」とも呼ばれる選挙協力体制が築かれていた。その核心は共産党を含め、野党が結束して選挙に臨むことだった。
事の始まりは2016年、議席を失っていた森が無所属で参院選に挑んだ時に遡る。旧民進党や共産党、社民党などが森を支えて自民党の現職に競り勝ち、それは強烈な成功体験として野党各党の記憶に刻まれた。
その秋の知事選、2019年の参院選でも野党統一候補が勝利を収め、「新潟モデル」は確立されていった。
社民党県連合の幹事長、渡辺英明はこう振り返る。
「共産党も含め、『自分たちの候補だ』という意識で活動を進めた。勝利は自信につながっていった。その始まりの森はある意味で野党共闘の象徴だ」
軋む野党連携
共産党との連携に否定的な連合、そして従来から森の選挙を支えてきた共産党。両者から支援を得たいと考えた森は、自身の選挙を取りしきる組織を2つに分けた。立憲民主党県連と連合新潟が参加する「合同選対」、そして共産党県委員会や社民党県連合なども参加する「野党連絡調整会議」だ。
参院選の公示まで2週間余りとなった6月4日。合同選対の会議後、立憲民主党県連の代表を務める菊田真紀子は選挙運動の方針について次のように語った。
(菊田)
「連合との合同選対で方針を決め、野党連絡調整会議に方針を伝える。あくまで合同選対が中心になる」
知事選での大敗を踏まえ、連合新潟により重きを置こうという姿勢を示す発言は瞬く間に野党内にさざ波を引き起こし、共産党や社民党の反発を招いた。
(社民党関係者)
「6年前の参議院選挙は森が無所属だったので、各党による連絡調整会議が運動方針を正式に決定して、連合新潟に落とし込むという流れで、お互いの意見を聞いていた。菊田の発言は『手足になれ』と私たちに言っているのも同然だ」
さらに共産党の不満に拍車をかける出来事が起こった。
6月12日。共産党委員長の志位和夫が街頭演説のため新潟市を訪れた際、そこに森の姿はなかった。
森は「日程が合わなかった」と説明したが、関係者によると連合に配慮した行動だったという。
街頭演説後、志位は記者団の取材に冷静に答えた。
(志位)
「非礼だとは考えない。それぞれ日程があって動いている。新潟では野党共闘によって参議院選挙で勝ち続けてきた。立場の違いはあってもリスペクトし合いながら協力するという姿勢で私たちは頑張っていく」
だが、共産党県委員会の幹部は不安を口にしていた。党トップの街頭演説に森が姿を見せなかったことはある種のメッセージとして党員や支援者に受けとられかねないからだ。
(共産党県委員会幹部)
「特に熱心に活動している共産党員のやる気が落ちた。『私たちは一生懸命、森を支援しているのになぜ森は来なかったのか』と。森への思いが無くなるとポスティングなどの活動が減る」
謝罪、そして…
5日後の6月17日。
こうした状況に危機感を覚えた立憲民主党県連の幹部は、共産党県委員会や社民党県連合の幹部と水面下で接触を図った。新潟市中央区のビルの一室に集まった約30人を前に森と菊田は謝罪の言葉を口にした。
「連合を大事にして我々を無視するのか」
そう詰め寄られた森は「いろいろあって私もつらい」と釈明したという。
そして、「合同選対」と「野党連絡調整会議」を同列と位置づけ、互いの意見を尊重しながら運動を進めていくと繰り返し説明した。
(出席者)
「森は恩を感じてしっかり返そうとする人だから今の状況を悲しんでいるのだと思った。具体的な理由は言わなかったが、連合新潟への配慮というのは明らかで、森が苦しんでいるのも分かるから同情的な雰囲気になった」
立憲民主党、共産党、社民党の3党が連携して選挙に臨むことを確認したが、しこりは残ったままだった。
一方、野党の一角を占める国民民主党県連はこうした動きと一線を画した。「自民党を利さず、共産党を含む連携には加わらない」として、事実上の自主投票を決めた。
「自民党の新人候補を支援しないが、森も支援しない」、国民民主党はそう宣言したのだった。
電力会社の労働組合から支援を受ける国民民主党。県連幹部の1人は「森は国民民主党を出て行って、『原発ゼロ』を掲げる立憲民主党に合流した。共産党との関係も近く、支援は難しい」と話していた。
ギクシャクする野党3党の連携に、独自色を強める国民民主党。
「新潟モデル」の崩壊は止められなかった。
いざ選挙戦も
選挙戦が始まると森は多い時には1日に約50か所で街頭演説を展開。強みである「足で票を稼ぐ戦術」を徹底した。
しかし、野党の足並みの乱れは目に見える形であらわれた。
選挙戦の序盤、陣営の関係者は不安を漏らしていた。
(陣営関係者)
「前回の選挙では共産党やボランティアが1日20人ほど集まってビラ配りや電話かけを行ってくれた。でも今回は5人くらいしか来ない。街頭演説の動員でもなかなか集まってくれない。共産党県委員会と社民党県連合の幹部は票固めに動いてくれているが、実際の運動量は少なくなっている」
選挙戦最後の日曜日となった7月3日。
新潟駅前で行われた森の街頭演説には約1000人が集まり、県選出の野党系の国会議員全員が顔を揃えた。
支援の輪を広げようと、連合新潟の幹部や野党系の県議会議員が手を取り合って選挙カーの上に並ぶ中、連合新潟と共産党双方への配慮がにじんだ。
(森陣営関係者)
「交代で選挙カーに上ってもらうことで、連合新潟と共産党は並ばないようにした。応援弁士を紹介する垂れ幕に党名を書かなかった。『立憲民主党』と『共産党』が並ぶのを避けるためだ。勝つためには野党の団結が必要で工夫をするしかない」
自民党に議席を明け渡す事態は何としても避けたい。その1点でまとまりたい。しかし…
連合新潟の幹部は苦しい胸の内を吐露していた。
(連合新潟 幹部)
「連合新潟と立憲民主党だけでは手が足りない。勝つためには共産党も含めて野党でまとまる必要があるのは現実的に分かっている。ただ、どこまで出来るのか、ギリギリのラインを探らないと傘下の労働組合のメンバーに説明がつかない。こっちも苦慮しているんだ」
異例の最後の訴え
一方、森に挑んだ自民党。
「大きな悲しみもありました。絶対に忘れることができない選挙となりました。だからこそこの新潟選挙区、負けるわけにはいかない」
選挙戦最終日の7月9日の午後7時過ぎ。新潟市中心部の繁華街に、拳を振り上げて熱く訴える自民党総裁の岸田文雄の姿があった。集まった約4000人(※陣営発表)の聴衆からは割れんばかりの拍手が沸き上がっていた。
岸田は選挙戦の締めくくりとなる場所として新潟を選んだ。東京・秋葉原が定番となっていた自民党総裁の「マイク納め」。地方で行うのは極めて異例で、自民党が新潟の勝敗に強くこだわっていたことを象徴する場面となった。
去年の衆院選で自民党は新潟県内6つの小選挙区のうち、議席を確保したのはわずか2つ。参院選では前々回、前回と連敗し、結党以来守り続けた新潟での議席を失った。議席奪還は何が何でも成し遂げなければならない最重要目標だった。
*20220725 神戸新聞NEXT https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202207/0015488710.shtml
効果が上がらなかった自公の選挙協力、立民の後退は時代の流れ
豊田真由子が2022年参院選をおさらい
今回の参議院選挙は、自民の勝利、立憲の後退、維新の躍進、新興政党の台頭といったことが特徴付けられます。前回のコラムでは、“自民圧勝”の実態、野党多党化などについて考えました。今回は、公明党、選挙協力、立憲民主党について、今後の政治の流れにも影響を与えると思いますので、少し詳しく見てみたいと思います。
■公明党、選挙協力、野党共闘
公明党は、改選議席から比例で1減らし、13議席(選挙区7、比例6)となりました。
下記は、過去3回の衆参議院選挙における公明党の比例得票率の推移ですが、やはり今回参院選の減少は大きいことが分かります。
参院選:13.5%(2016)→13.1%(2019)→11.7%(2022)
衆院選:13.7%(2014)→12.5%(2017)→12.4%(2021)
公明は、支持者の高齢化等による組織力の低下や、新型コロナによる活動の制限といったことが、以前より指摘されていますが、今回の急激な減少は、自公の選挙協力が十分結果を出さなかったことが大きいのではないかと考えます。
「政党同士の選挙協力って具体的にどうやるの?」というご質問を受けることがありますので、この機会に少し説明させていただきます。(なお、連立や選挙協力の是非については、ここでは論じません。あくまでも実態をお話しするという趣旨です。)
自公は、衆院の選挙区と参院の一人区では必ずすみ分けをし「相互推薦」を出します。(ちなみに、維新と公明も、すみ分けをしています。)
一方、参院の複数区では、自公ともに候補者を擁立するところが多く(東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡)、そこでは自民党は、自民候補者に「公認」、公明候補者に「推薦」を出します。この場合、候補者同士は議席を争う「敵」になるわけですが、自民党の方針と現場の動き方としては、(自民支持者の数の方が公明支持者の数よりも多いので)自民の票を公明候補者に回す、ということをします。
具体的には例えば、自民の衆院議員(参院選でも、地元で実際の実働部隊となるのは、それぞれの地域選出の衆院議員や地方議員となります。選挙区選出の参院議員や候補者は、当該都道府県の全域が選挙区となるため、普段も選挙の際も、緻密には回り切れないのです。)が、地元の支持者に対して、例えば5人家族であれば、「4人は自民候補者、1人は公明候補者への支持」をお願いをするといった形です。
「自分は自民党員なのだから自民党と書きたい」と言われたりしますが、「自公の候補者ともに当選することで、国政で連立政権が機能するし、衆院選では自分(衆院議員)を応援してもらっているから、ぜひお願いします」と説得します。強力な支持者ほど、状況をよく理解し、協力してくれたりします。
衆参選挙の比例区についても同様のことを行います。
いずれにしても、「選挙協力」というのは、そんなにたやすいものではなく、形式的に「推薦」を出したから、あるいは、街頭演説でその旨を言葉にしたからといって、相手の党に票が上乗せされるわけではなく、自分の個々の支持者へのアプローチをみっちり力を入れてやらないと、そう簡単に、人は支持政党と違う政党への投票はしてくれないというのが、実際に経験してみての実感です。(なお、大物の方の場合は、もっと機動的・効率的にやっているのだとは思います。)
翻って、今回の参院選では、この自公の選挙協力があまり成果を上げなかったのではないかと思います。今回は、多くの一人区で、野党共闘による候補者一本化が行われなかったこともあり、早い段階で自民候補優勢との見込みが立てられ、地域の自民党関係者に「公明党の協力を得なくては、自民の候補者が当選できない」という危機感が乏しく、それ故、地域によっては、「選挙区で協力してもらう見返りに、比例で公明党に票を回す」という動きが鈍かったのではないかと推察します。そして、そのことは、次の衆院選などで、今度は自民党の候補者に対して影響を及ぼす可能性も出てくるだろうと思います。
ちなみに、“選挙協力”は与党だけの話ではありません。前回の参院選や2017年の衆院選では「野党共闘」が行われましたが、最近はさかんではなくなりました。本当は、候補者を一本化するだけではなくて、候補を立てた政党(A党)は、候補を立てなかった政党(B党C党)に対して、比例区で自分たちの支持者の票を回す、ということが行われないと、候補を立てなかった政党(B党C党)としては、実際にメリットが無く、「今後もぜひ共闘しましょう!」ということになりにくいと思います。
「他党に票を回す」というのは、相当のテクニックや蓄積と、地元支援者との密な関係等が必要ですし、やはり主義主張の異なる政党が協力するにおいては、大義や理念だけではなく、実利が必要なのだと思います。実はこれが、「野党共闘」がうまくいかないことのひとつの理由としてあるのではないかと、私は思っています。
さて、自公連立については、憲法改正や国防を巡る考え方の相違や、今回の参院選の相互推薦を巡るゴタゴタなど、ぎくしゃくしている面もあると言われますが、連立が解消されるようなことは当面ないだろうと思います。
ただ、与野党問わず、どの政党もですが、国際情勢や国内の社会経済状況なども、どんどん変化していく中、それぞれの独自性を発揮しながら、国と国民のためにどういう役割を果たし得るかということを考え、実現しているかどうか、国民のニーズにきちんと応えているか、といったことを、国民は冷静に見ていると思います。
■立民の今後
今回立憲民主党は、岩手、新潟、山梨(以上現職)、北海道、東京、三重(以上現職引退による新人)で、自民に議席を取られ、選挙区で6議席を減らしました。比例では改選7議席(得票率12.8%)を維持しましたが、比例での「野党第1党」の座は、8議席を得た維新(同14.8%)に譲りました。
<立民の比例得票率>
参院選:22.9%(民進21.0+生活1.9)(2016)→15.8%(2019)→12.8%(2022)
衆院選:20.3%(民主18.3+生活1.9)(2014)→19.9%(2017)→20.0%(2021)
そうはいっても、比例では、立民の労働組合出身の候補は5人全員が当選しましたので、それぞれの労組の結束力はやはり強いものがあると思います。
(なお、情報労連の立民候補者は11.2万票で当選、電機連合の国民民主の候補者は16.0万票で落選しており、基幹労連・JAMの候補者は、前回国民で14.3万票で落選、今回立民で12.5万票で当選しています、そこは政党名での得票数の差によるもので、シビアな世界です。)
「最大野党であるはずの立民が、与党批判票の受け皿になっていない」「民主党政権下の記憶が国民に刻まれている」といった話があります。確かにそれはそうなのですが、そもそも立民の後退は、主要支持母体である労働組合の対応の変化、時代の流れも大きいと思います。
労働組合=野党支持というイメージが強いかもしれませんが、データ的には必ずしもそうともいえません。連合が組合員を対象に実施したアンケート調査では、2016年に旧民進党支持が39%でしたが、2019年は立憲民主と国民民主の支持を合わせて34・9%になり、一方、自民支持は17・3%から20・8%になったとのことです。
最近の連合の芳野会長と自民の接近は、多方面に驚きを持って受けとめられ、連合内部で批判もあるところですが、組合の中にも「自分たちの思いを政策として実現するためには、与党を支持するべき」という声もあり、一枚岩ではないようです。
最近は、投票に行かない組合員も増えており、特に若い組合員(34歳以下)で、立民と自民への投票率の逆転現象が起こっていると、JAM(ものづくり産業労働組合)の方が、テレビ番組で昨年の衆院選の「組合員の年代別投票行動」のデータを出して説明しておられました。
労組に限らず、一般的に、政治に無関心・諦めを感じる人が増えているということ以外に、主体的な組合員の中でも「労働者が団結して野党を支援し、政治に影響力を及ぼしていく」という手法が、魅力的・現実的なものに映らなくなっている等、いろいろな背景が考えられますが、今後の趨勢は、やはり立民・国民・労組関係者自身が、こうした状況をどう分析し、どう対処していくのかにかかっているのだろうと思います。
二大政党制であれ、多党連立であれ、「政権交代の可能性がある」ということが、政治の場に、緊張感や自律心を持たせる役割を果たすと思いますので、政権を担うだけの能力や経験をどう身に付け、国民の信頼を得ていくか、それぞれの政党の方が(引き続き)真摯に考えていただくことが大切だと思います。
*20220717 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA13DPN0T10C22A7000000/
自民党の比例票、30歳未満で4割切る 変化求め分散
チャートは語るfeat.参議院選挙
参院選から1週間がたった。単独で改選過半数の63議席を得て大勝した自民党は選挙区で議席を積み増した一方で、比例代表は前回2019年から1減った。比例代表の投票先を分析すると、安倍政権下で自民党に流れた若年層の票が新たな選択肢に向かった動きが浮かぶ。
比例代表は政党の支持傾向が反映されやすい。自民党の今回の得票率は19年より0.9ポイント低い34.4%だった。
共同通信社の出口調査で年齢層別の投票先をみると、自民党の比率は50歳代以上の各年代で19年より高まった。対照的に若い世代は落ち込み、特に20歳代は3.5ポイント下がって4割を切った。
野党第1党の立憲民主党も20歳代で19年の旧立民を1.6ポイント下回った。公明党や共産党の比率も低下した。
第2次安倍政権以降の過去4回の参院選で自民党に投票した割合を「30歳未満」「30~50歳代」「60歳以上」の3つの年齢層別に追った。安倍政権下の13、16、19年の3回は30歳未満がいずれも4割を超え、最も高かった。今回は一転して30歳未満が4割を下回って最も低くなった。
自民党などから離れた若者の票はどこに向かったのか。伸びたのは参政党や国民民主党、日本維新の会などだ。
参院選に初めて候補を立てた参政党は20歳代の投票先で5.9%に達し、共産を上回った。国民民主党も19年の旧国民民主より3.9ポイント高く10.5%になった。両党とも若い世代ほど割合は高い。
日本維新の会も0.7ポイント伸びて国民民主と並ぶ10.5%を占めた。一定の票が流れたと言える。半面、4.5ポイント増えた40歳代など上の世代ほどの伸長はみられなかった。
京都府立大の秦正樹准教授は「新しい選択肢の存在が若者をひき付ける力になった」との仮説を示す。主に若年層で支持を広げた参政党について「既成政党が表現できていない政策をうまく組み合わせて提示した」と分析する。
参政党に投票した人は防衛費増額、消費税率引き下げを支持し、憲法改正はどちらでもよいとの傾向が世論調査からみてとれるという。同党は日本の尊厳や国防力重視などを掲げ、改憲は必ずしも前面に出ていない。
国民民主は直近で従来の野党像と異なる動きが目立った。22年度の予算案は野党としては異例の賛成に回った。
秦氏の研究によると維新は政権を担当する能力があると考える人が増えている。議席を伸ばした要因と考えられる。より変化を求める20歳代はすでに目新しさに乏しいと感じている可能性もある。
比例代表の得票率を地域別にみると浮動票が多いとされる都市部で票の分散傾向が出た。主に関東や近畿の都府県で与野党第1党の自民、立民両党が占める割合が19年に比べて小さくなった。京都府の下落幅が最も大きかった。
既存の勢力から票が分散する構造は比例代表制をとる欧州諸国の状況に重なる。急進的なポピュリズム政党などの新党が相次ぎ誕生し、例えばオランダは21年の下院選で過去最多の17党が議席を得た。
千葉大の水島治郎教授は「従来の左右の対立軸そのものが意味を失いつつある」と指摘する。
今回の参院選でも既存勢力に投票先が見当たらない若い層が保守とリベラル、革新の軸にとらわれずに票を投じたと考えられる。
かつて55年体制下で変化を求める層は自民以外に投票し、ミニ政党ブームが起きたこともあった。第2次安倍政権以降は現状に飽き足らない若い世代ほど自民党に投票する傾向があった。今回の参院選からはその構造が再び変わってきたことがうかがえる。
(宮坂正太郎、朝比奈宏、久保田昌幸、グラフィックス 荒川恵美子)
*20220716 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/20220716-OYT1T50038/
[データで振り返る参院選] 自公 協力関係ほぼ維持
今回の参院選で、自民、公明両党は2016年、19年に実施した党本部主導の相互推薦を見送った。ぎくしゃくした自公関係は、投票にどう影響したのか。読売新聞社と日本テレビ系列各局が共同で投開票日の10日に実施した出口調査のデータを分析すると、大部分の選挙区で協力関係は維持されたようだ。
公明は最終的に、候補を立てなかった改選定数1~3の38選挙区のうち、岡山を除く37選挙区で自民候補を推薦した。38選挙区で公明支持層が自民候補に投票した割合は平均67%。19年の66%、16年の68%(党本部推薦が出ていない徳島・高知選挙区も含む)と同水準だった。割合が最高の石川は9割弱に達している。
割合が急減したのが、岡山と京都だ。ともに4割を下回り、過去の選挙と様変わりした。
岡山では、自民の小野田紀美氏が公明の推薦を事実上拒否し、公明は自主投票を決めた。16年は6割強、19年は8割弱に上ったが、今回は3割程度に激減。立憲民主、国民民主両党が推薦する無所属の新人に7割弱が流れた。小野田氏は再選を果たしたものの、得票数は6年前の初当選時から約4万5000票減らした。
京都で自民が擁立した吉井章氏は、公明から推薦を受けたにもかかわらず、38選挙区で最も低い2割程度にとどまった。16年と19年の参院選ではいずれも6割を超えていたが、今回は5割弱が日本維新の会の新人候補に投票した。1位で初当選した吉井氏と、3位で落選した維新候補の票差は約3万5000票だった。
維新は、公明が衆院で議席を持つ大阪や兵庫の小選挙区で候補擁立を見送ってきた。今後も競合を避けたい公明が維新に恩を売るため、票を流したとの見方がある。
*20220717 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/20220717-OYT1T50007/
[データで振り返る参院選]1人区 自民支持層カギ
参院選では改選定数1の「1人区」32選挙区のうち、野党系候補が勝利したのは4選挙区にとどまった。逆風の中、自民党候補を打ち破った4候補には、無党派層と自民支持層への浸透という共通点があった。
野党系が勝ったのは、青森、山形、長野、沖縄の4選挙区。読売新聞社と日本テレビ系列各局が投開票日の10日に共同実施した出口調査を見ると、青森の田名部匡代氏(立憲民主党)は、無党派層の68%からの支持を得たほか、自民支持層の36%も固めていた。
山形の舟山康江氏(国民民主党)も無党派層の61%、自民支持層の25%から支持を得ており、長野の杉尾秀哉氏(立民)は無党派層47%、自民支持層21%だった。
沖縄の伊波洋一氏(無所属)は無党派層の50%を取り込んだものの、自民支持層への浸透は15%にとどまり、他の3選挙区よりは低かった。このため、3選挙区は次点の自民候補に1~2割の得票差をつけたのに比べ、沖縄は1%と僅差に持ち込まれたとみられる。
野党系が一本化し、自民との一騎打ちに持ち込みながらも敗れた9選挙区の野党系候補を見ると、無党派層からの支持は平均43%、自民支持層からは平均12%と総じて低かった。
もともと、有権者全体の中で自民支持層と無党派層の割合は高い傾向がある。野党系が勝った4選挙区の自民支持層の割合は32~48%といずれも最も高く、次に多いのが無党派層の16~22%だった。
これに対し、立民や国民など野党支持層の割合は、各党を足しても多くて2割程度だ。1人区で勝つには、野党支持層をまとめた上で、自民支持層と無党派層という二つの固まりに支持を広げることが不可欠だ。(おわり)
*20220712 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20220711-OYT1I50261/
人気漫画「ラブひな」作者がトップ53万票
…比例自民の個人名票、業界団体の集票力に衰えも
10日に投開票された参院選では、自民党は比例選に33人を擁立し、18人が当選した。インターネットを武器に多くの得票を獲得した当選者がいる一方、業界団体の集票力が衰えて落選する候補者も出て、明暗が分かれた。
個人名票を最も集めたのは、人気漫画「ラブひな」などの作者として知られる赤松健氏だった。特定の支援団体はないが、ネットを中心に選挙戦を展開し、約53万票を獲得した。2019年の前回選まで3回連続で党内トップ当選を果たした全国郵便局長会の組織内候補の得票数を約11万票も上回った。
当選上位には、日本医師連盟や全国建設業協会、全国農政連など「常連組」も食い込み、組織票の強さを見せつけた。
集票力の陰りが著しい組織も目立った。日本遺族政治連盟の支援を受けた現職の水落敏栄氏は6年前に約11万票で当選した。しかし、今回は約8万票にとどまって落選した。支持者の高齢化などが影響したとみられる。防衛関係の支援を受けた現職の宇都隆史氏も6年前には、14万票近く集めたが、今回は約10万票まで落ち込み、議席を失った。民進党を経て、今回は自民から出馬した元議員の藤末健三氏は、立正佼成会の支援も受けたが落選した。
*20220711 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/20220711-OYT1T50135/
無党派票 自民トップ…比例選 維新が立民上回る
出口調査で支持政党がない無党派層に比例選の投票先をたずねたところ、自民党が22%でトップだった。日本維新の会が17%で、16%の立憲民主党をわずかに上回った。自民が無党派層からも多くの支持を集めたことがうかがえる。
「ふだん支持している政党」(支持政党)を聞いた質問の回答では、自民が37%、立民が9%、維新が9%、公明党が5%、共産党が4%、国民民主党が2%だった。無党派層は18%で、2019年参院選(18%)や21年衆院選(19%)とほぼ同水準だった。
無党派層の比例選の投票先では、自民が21年衆院選から1ポイント増やし、公明は1ポイント減らして5%だった。維新は21年から2ポイント落としたが立民を上回った。野党共闘から距離を置く姿勢が支持を集めた可能性がある。
無党派層の投票先で見ると、立民と共産は伸び悩んだ。21年と比べて立民は8ポイント減らし、共産は7%で横ばいだった。国民は21年から1ポイント増やして10%。れいわ新選組は7%だった。
今回初めて候補者を擁立した諸派の参政党は、公明や社民(3%)を上回る7%だった。無党派層からの支持が、比例選での議席獲得の要因の一つとみられる。
*20220712 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO62507150R10C22A7L91000/
愛知参院選 労組票「奇跡」のすみ分け 立民と国民が維新振り切る
10日投開票の参院選で愛知選挙区(改選定数4)は自民、公明、立憲民主、国民民主の各党が議席を獲得した。定数4に増えた2016年以降続いてきた自民、公明両党と旧民主党の流れをくむ野党が2議席ずつ分け合う構図を維持した。立民と国民民主は支持基盤の労働組合票をすみ分け、初の議席獲得を狙った日本維新の会を振り切った。改選定数1の三重と岐阜はそれぞれ自民が勝利した。
愛知選挙区で当選を決めた国民民主党の伊藤孝恵氏(11日未明、名古屋市)=共同
愛知では自民の藤川政人氏が87万票を得て、トップで3選を果たした。公明の里見隆治氏が44万票で再選し、立民の斎藤嘉隆氏、国民民主の伊藤孝恵氏が続いた。維新の新人、広沢一郎氏は地域政党「減税日本」を率いる河村たかし名古屋市長が全面支援したが、届かなかった。
自動車など製造業が集積する愛知県は伝統的に労働組合が強い。政権交代が起きた09年の衆院選では、全ての小選挙区で労組が支援する旧民主党が議席を独占した「民主王国」だ。参院選では改選定数3の時代に旧民主党で2議席を獲得するケースも目立った。
今回焦点となったのはその労組票の動向だ。参院選公示前の6月17日には、岸田文雄首相がトヨタ自動車の元町工場(豊田市)を視察。トヨタや関連会社の労組「全トヨタ労働組合連合会(全ト)」の切り崩しを図る狙いかと臆測を呼んだ。
21年の衆院選で全トは愛知11区で議席を守ってきた組織内候補を擁立しなかった経緯がある。今回の参院選の選挙戦中には国民民主の玉木雄一郎代表が豊田市の全トを訪問し、伊藤氏への支援を要請した。
立民と国民民主の支持団体である連合愛知の組合員は約55万人。6年前の参院選では伊藤氏の出馬表明が遅れ、大半が斎藤氏を支援した。ともに旧民進党から出馬した。一方、今回は連合傘下の組合ごとに支援する候補をすみ分け、官公労を中心に組合員数ベースで3割が斎藤氏、自動車など民間労組を中心に7割が伊藤氏の支援に回った。
影響は大きかった。16年に57万票を獲得して2位で当選した立民・斎藤氏は今回3位。6年前に支援を受けた民間労組の多くが今回は国民民主の伊藤氏を支援し、厳しい戦いを強いられた。
得票数をみると、斎藤氏の40万票に対し、伊藤氏が39万票。維新の広沢氏が35万票で迫った。連合愛知の幹部は「候補者には苦労させたが、結果的に見事な票の分け方だった。奇跡に近い。これでないと維新に勝てなかった」と振り返った。
労組は選挙に際し、組織として支援する政党や候補者への投票を組合員に呼びかける。ただ、どの程度の組合員が実際に動いたかはわからない。手がかりの1つになるのが期日前投票をした人の割合だ。
全トの組合員が多い豊田市で期日前投票をした人の割合は今回30.06%と、愛知県全体の18.27%を大きく上回った。19年の参院選では27.45%だった。自民党愛知県連の幹部は「豊田市で期日前投票に行くのは労組の人が多い。それなりに組合が動いた印象だ」と分析する。
伊藤氏は「労組の執行部が熱を持って活動してくれた」と話した。国民民主党幹部は「全トに支えてもらった。首相のトヨタ訪問はあまり関係なかった」と評価した。一方、維新の広沢氏は11日未明の記者会見で「組合をはじめとする組織票を打ち破るまで行かなかった。やはり組合票の力は強い」と語った。 略
*20220713 中日新聞 https://www.chunichi.co.jp/article/507028
<漂流する王国 自民党大勝の裏で>(上)労組 疑心暗鬼
参院選公示前の六月、愛知県三河地方の労組の間でうわさが流れた。
「トヨタ労組がまた、候補者を取り下げるぞ」
候補者とは、自動車総連から比例代表に出馬した浜口誠さん。昨秋、衆院選の愛知11区で突然、不出馬を表明した古本伸一郎さん(現愛知県副知事)と同じ、トヨタ自動車労組出身だ。
うわさを耳にした三河地方選出の衆院議員は「ありえない」と一笑に付したが、「参院選でも労組はみんな疑心暗鬼になっている」と直感した。「トヨタ労組の都合で、他労組ははしごを外されるんじゃないか」と。
古本さんは出馬取りやめとなったのに、トヨタ労組は参院選で積極的に運動するのか。多くの組合関係者が抱いた疑問に、トヨタ労組を中核とする全トヨタ労働組合連合会(全ト)トップ、鶴岡光行会長は本紙の取材にこう答えている。
「衆院は一人を選ぶ小選挙区だから、会社も地域も(与野党で)二分され、本人もつらさを感じていた」が、参院選なら複数が選ばれ「性格が違う」という。
だが全トの元幹部でさえ、この説明に納得していない。特に、出馬取りやめ表明の唐突さに不信感は強く、元幹部は「記者発表の二時間前に知らされた」と今も憤る。
「三河はしっかりやります」。全トの鶴岡会長は、参院愛知選挙区で組織を挙げて推す伊藤孝恵さん(国民現)の陣営幹部に約束したが、組織の足元は揺らいでいた。
岸田文雄首相が公示直前にトヨタ工場を訪問。官邸は「首相としての公務」と説明したが、豊田章男社長は、首相が見学した意義を強調しながら「(この時期になった)一番の理由は選挙でしょ」と苦笑いした。トヨタ系部品メーカーは、より深刻に訪問の意味を勘繰った。
「部品メーカー側には『この選挙でトヨタは労使で与党についた』と見えた。そのため部品メーカー単組は野党候補を応援しづらくなった」と、全ト傘下の労組幹部が明かす。
労組の動きは明らかに鈍った。選挙戦に入っても「全トが全然、動いていない」との声がやまない。連合愛知が持つとされる約五十五万票のうち、全トは二十万票ほどを抱える。
期日前投票の各種出口調査では、伊藤さんの票の出方が豊田市で周辺より出遅れていることが判明。トヨタ労組のお膝元で、陣営は「動いてくれているのか」と焦りを募らせた。伊藤さんを支援していた大村秀章知事も業を煮やし、自ら全トに応援を要請し始めた。
最終的には、全トが推す浜口さんも比例代表で国民の二議席目を獲得。選挙区でも伊藤さんが四位で当選したが、薄氷の勝利だった。
選挙期間中、伊藤さんを支援する地方議員からは全トに対し、こんな不満さえ漏れた。
「本音では比例も選挙区も落としても構わないと思ってないか。誰もいなくなれば、組合も自民に推薦を出せるようになるし」。古本さんの不出馬で芽生えた疑念は、参院選で解消されることはなかった。
◇
自民大勝で終わった参院選は、かつて「民主王国」と呼ばれた愛知選挙区(改選数四)でも自公現職が一、二位で当選。旧民主系は立民と国民が議席を維持したが、辛勝だった。維新は、名古屋市で固い地盤を誇る河村たかし市長とのタッグで議席獲得を目指したが及ばなかった。野党苦戦の舞台裏を検証する。
*20220714 中日新聞 https://www.chunichi.co.jp/article/507736
<漂流する王国 自民党大勝の裏で>(中)維新、内部対立
参院選の開票が進んでいた十一日未明。日本維新の会が愛知選挙区(改選数四)で擁立した広沢一郎さん(58)は事務所で、敗戦の弁を語り始めていた。だが同党の地元衆院議員の一人は、最後まで事務所に姿を見せることはなかった。
昨秋の衆院選比例東海で当選した岬麻紀議員。名古屋市の一部や尾張南部の愛知5区を地盤とし、参院選公示前の五月、「経歴詐称」を追及された。
「そりゃ顔は出せんでしょ」。維新とともに広沢さんを共同公認した地域政党「減税日本」代表、河村たかし名古屋市長は、にべもなかった。
広沢さんは前名古屋市副市長で、河村市長の側近。同市で知名度が高い河村市長と、全国的に勢いがある維新のタッグにより相乗効果で議席獲得を狙った。
しかし岬議員の経歴問題で、タッグに潜んでいた亀裂が表面化した。
岬議員はかつて立候補した二〇一九年参院選で、選挙公報に私立大「非常勤講師」と記載。実際は「外部講師だった」などと謝罪し、訂正に追い込まれている。
このとき「ウソを言ったらいかん」と批判の急先鋒(せんぽう)だったのが河村市長と、維新の杉本和巳衆院議員(比例東海)。岬議員は参院選が公示されても「(広沢さんの)選挙対策本部に入れてもらえなかった」(岬事務所)として、他県の維新候補者の応援に飛び回ったという。
もともと、岬議員は維新単独で党勢拡大を目指すべきだとの立場で、減税と組むことに明確に反対。参院選後も「統一地方選に向け、河村さんに頼らない新生・愛知維新としてスタートしたい」(秘書)としている。
これに対し、杉本議員は「維新が愛知でやっていくのは簡単ではない。これからも河村さんと連携していく」と、河村市長を巡り正反対の姿勢を見せる。
広沢さんは今回、県全体で三十五万票余りを獲得。四位で当選した伊藤孝恵さん(国民現)とは約四万票差で敗れたが、一九年参院選の岬議員の得票から八万票以上伸ばした。
しかし自治体別の得票で見ると、岬さんの地元の愛知5区(名古屋市中村区、中川区、清須市、北名古屋市、豊山町)では四〜五番手にとどまった。
河村市長周辺は「岬さんが本格的に協力していれば、選挙運動で活動できるスタッフは単純に増えた」とみる。特に名古屋では、参院選が市議会定例会と重なり、市長や減税市議が選挙活動に割ける時間が限られていたからだ。
市長自身は「街頭活動していても、(候補者でなく)わしの前に行列ができてしまう」と、広沢さんへの得票に結び付かないもどかしさを振り返っている。
維新が比例代表で愛知県内で獲得した票は約三十九万票。広沢さんの得票より多い。他陣営は「維新はやはり脅威」(国民関係者)と見る。単独か、減税との連携か。維新内の路線対立が収まる道筋は見えない。
*20220714 中日新聞 https://www.chunichi.co.jp/article/508346
<漂流する王国 自民党大勝の裏で>(下)立民・国民 共闘
選挙カーの演説台に、国民の榛葉賀津也幹事長が上る。それを追うように、立民の泉健太代表もはしごに足を掛ける。両党を応援する連合の芳野友子会長とともに、旧民主系の弁士三人がそろい踏みした。
参院選公示から一週間たった六月二十九日、近鉄宇治山田駅(三重県伊勢市)前で開かれた街頭演説会。三重選挙区(改選数一)は立民と国民がそろって芳野正英さん(無新)を推薦しており、分裂を深める両党が共闘する数少ない選挙区となった。
全国から訪れる伊勢神宮参拝客にも結束をアピールする絶好の機会。と見えたが、内実は逆だった。
「話が違うじゃないか」。国民の三重県連幹部は街頭演説後、周囲に怒りをあらわにした。
この幹部によると、国民の党中央から県連に、両党幹部が一枚の写真に納まらないように「強い指示」があった。立民側に事前にその旨を伝え、榛葉幹事長が話し終えてから、泉代表が選挙カーの演説台に上る手はずだった、という。
この前日にも、両党の擦れ違いが街頭で露呈している。
国民の玉木雄一郎代表が、津駅前で三十分にわたり演説。しかし選挙区候補者の芳野さんにはひと言も触れずにマイクを手放した。
芳野さんは、立民の重鎮である岡田克也衆院議員の元秘書。この場に芳野さんはいなかったとはいえ、居合わせた国民の金森正県連代表は「ちょっとでも(芳野さんに)触れてくれればなあ」と残念がった。
玉木代表自身は「これは比例代表の応援演説だから」と気にするそぶりはなかった。
かつては愛知と並び「民主王国」と呼ばれた三重。今回参院選も、引退を決めた立民の芝博一議員の議席を野党が結束して守る選挙だった。だが候補者の推薦段階から立民と国民の協力にほころびが芽生えていた。
芳野さんへの推薦を立民は三月に出したが、国民の党本部が出したのは二カ月近く後の五月十八日。国民支援の民間労組からは「なかなか指示が来ない」と戸惑いの声が出た。
出遅れる労組を揺さぶるように、公示直前の六月十七日には岸田文雄首相が三重入りし、ホンダ鈴鹿製作所も訪問。トヨタの工場見学に続き、与党の自動車産業重視をアピールした。
選挙結果は、芳野さんが自民新人の山本佐知子さんに十二万票超の差をつけられ完敗。立民系の県議の一人は「自民への風じゃなく、足並みの乱れた野党がただ票を減らしただけだ」と嘆いた。
二〇〇九年に当時の民主党が政権を奪取した時、県内の同党国会議員は衆参で八人いたが、今回参院選の結果、旧民主系で残るのは衆院で六十九歳の岡田さんと七十二歳の中川正春さんのみに。対する自民は県選出の国会議員は六人となり平均年齢は五十歳を切る。
「このままではじり貧」(立民系県議)。野党立て直しは、組織若返りにもかかっている。 =終わり
(梅田歳晴、白名正和、中村禎一郎、戸川祐馬、竹田佳彦、鎌倉優太、高橋信、阿部伸哉が担当しました)
*20220719 東京新聞 https://www.tokyo-np.co.jp/article/190384
野党共闘崩れた参院選 新たな対立軸は「改革対非改革」に
若い有権者世代に意識の変化
自民党が大勝した先の参院選では、全32の改選1人区で野党の候補者調整は限定的となり、2016年から続いた「共闘」は崩れた。もともと協力関係にない立憲民主党と日本維新の会は相互に批判を繰り返し、比例代表の得票で維新が立民を上回った。野党間の争いの背景にある有権者の意識の変化について、早稲田大の遠藤晶久准教授(投票行動論・世論研究)に聞いた。(井上峻輔)
—政党に対する有権者の意識はどう変わってきているのか。
「今までの日本の政党政治の対立軸は『保守対リベラル』で、自民党とリベラルな野党が対峙たいじしてきた。だが2017年に行った読売新聞・早大共同世論調査によると、50歳より下の世代では、そうした対立軸で政党を見る意識が薄れ、代わりに『改革対非改革』という対立軸をもとに政党を判断するようになってきている」
—これまでの「野党共闘」はリベラル寄りの政党間の協力だった。
「昨年の衆院選で立民は、共産党による『限定的な閣外からの協力』で同党と合意するなどリベラル側にかなり寄ったが議席を減らし、有権者の求めているものでは必ずしもなかった。『改革対非改革』で見る世代には立民や共産も古い政治を行う『非改革』とみられる面があり、改革イメージの強くない今の自民党と差別化できなかった。一方で『改革』とみられ議席を伸ばしているのが維新だ」
—立民は若い世代になぜ「非改革」とみられているのか。
「『改革対非改革』は政策の中身よりもイメージで判断される部分があるが、立民はどうしても国会活動のイメージだけになり、うまくアピールができていない。ただ立民も比例で13%の票を獲得し『保守対リベラル』の軸では間違ったポジションを取っているわけではない。今後は立民のどこが新しいかをしっかり訴えていくことが必要だ」
—参院選の改選議席では、全体で立民が野党第1党を守ったが、比例票では維新が立民を上回った。
「維新は改革イメージを好む有権者が多い都市部で比例票を得ている。大阪で行政を担い、『実際に大阪で改革をやった』とアピールしやすいのが強みだ」
—選挙では野党が互いに批判する場面も目立った。立民も維新を「自民より右の政党」「大阪は成長していない」などと酷評した。
「逆に維新は『改革非改革』の軸で立民を『今までの国会のやり方をそのままやっている人たち』と見せて優位性を得ようとした。互いの特色を踏まえて票を得るためのプレゼンテーションだったのだろう」
—対立軸が2つあることで野党が大きな固まりをつくるのは今後も難しいか。
「立民と維新は今のところ、2つの対立軸でともに相いれない。自民党という非常に大きな政党に対抗するには、野党は2つの軸をまとめるような形にならないといけない。政権交代を果たした旧民主党はそれができていた。ただ、長期的には有権者の世代は入れ替わり、『保守対リベラル』という旧来型の対立を重視する人は減っていく。対抗の仕方は徐々に変わっていかざるを得ないだろう」
えんどう・まさひさ 1978年生まれ。早稲田大社会科学総合学術院准教授。専門は投票行動論・世論研究。著書にウィリー・ジョウ氏との共著「イデオロギーと日本政治 ―世代で異なる『保守』と『革新』」など。